一般社団法人 医療人材国際交流協会

ご挨拶

協会会長・代表理事より、皆さまにごあいさつを申し上げます。

医療人材国際交流協会会長

私は、昭和43年に入間市で病院を開設致しましたが、当初より看護師不足に悩んでいました。周辺の中堅中小の病院は大なり小なり同様な課題を抱えておりましたので、地元の医師会や病院有志と協力して、昭和61年に准看護学校を、平成2年に看護専門学校を設立しました。
更に平成15年ごろからは、外国人看護師採用に取り組みました。当時は様々な障碍があり、残念ながら実現させることができませんでしたが、中国看護師の状況を理解したという意味においては、今日につながる良い経験でした。
5年前には、埼玉県で唯一のEPA看護師受け入れ病院となり、2名のインドネシア看護師を受け入れました。一昨年1名は看護師国家試験に見事に合格し、私の病院への就職を果たしましたが、もう1名は残念ながら帰国を余儀なくされました。漢字の壁の高さを改めて痛感した次第です。
この間、私は中国の看護学校を何度となく見学しましたが、内容は素晴らしいものがあります。そして、このような経緯を経て、2013年4月に日本語教育機関である新日本学院を卒業した中国人看護師の採用が実現しました。現在は6名の中国人看護師が当院に勤務しています。
外国人看護師との交流は、少子高齢化を迎える日本にとって必須の策ではないかと考えています。外国人看護師の人となり、育成活動、病院での活躍ぶりなどをお伝えすることで、慢性的な看護師不足に一石を投じることができればと思います。
そして医療人材国際交流協会を通じて、国際交流の時代における外国人看護師受入れの意義が、日本の病院各位に少しでも伝わることを念願しつつ、ご挨拶とさせて頂きます。

平成29年1月
一般社団法人 医療人材国際交流協会
会長 原田 雅義

医療人材国際交流協会代表理事

数年前、フィリピンEPA看護師候補者の日本語教育施設のため、在比日本領事館を訪問しました。 当時の担当官の「出稼ぎ目的のEPA実習生は果たして日本の国益につながるのか」との言葉がいまだに忘れられません。
私も二十歳の時「出稼ぎ」のために日本に来ました。三十歳頃までずっと、日本に残るか中国に帰るか迷っていました。しかし、今では住宅ローンも組んで、コツコツ銀行の利子を返済し、蕎麦や納豆を食べ、時には「和牛」に舌鼓を打つちょっとした贅沢もして、いつの間にか日本の生活に馴染んでいました。 最近は中国から帰って来る度に、日本のほうが落ち着くと思うようにさえなりました。
「出稼ぎ目的」の外国人をいかに地域の一員として定着させるか、それが日本の外国人受入政策のポイントではないかと私は思います。
6年前に原田先生をはじめとする有志とともにこの外国人看護師育成プロジェクトを始めました。私たちの目標は「資格取得」「就労支援」に留まらず、外国人看護師が日本人と同じように仕事をし、 仕事に対して日本人に勝るとも劣らぬ喜びを感じ、自分のコミュニティに愛着を持ってもらえるまでが使命だと考えています。
一方、外国人看護師の日本における勉学と生活を援助する会員病院のご期待に応えるため、今後、外国人看護師が就職病院に早く馴染み、長期の戦力として定着できるよう就職後のサポート体制を強化したいと思います。
また外国人看護師採用、人材マネジメントにおける様々な場面においても、協会はマニュアルの整備・事務研修・セミナーなどの形を通じて会員病院をサポートしたいと思っております。
私たちの看護師が「日本の習慣、文化を理解する優しい外国人看護師」と呼ばれ、思いやりと活気があふれる日本の地域社会に溶け込んで活躍する日が遠からず来ると信じています。
海を越えて。

平成29年1月
一般社団法人 医療人材国際交流協会
代表理事 畢 煜